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今村復興大臣記者会見録[平成29年3月14日]

今村復興大臣閣議後記者会見録(平成29年3月14日(火)10:02~10:20 於)復興庁)

1.発言要旨
 おはようございます。先般3月11日、改めて追悼祈念式典が行われました。いろいろな式辞もありましたが、特に遺族の皆さん方3人が代表で御挨拶されました。大変な悲しみの中でもう一度我々も思い出したわけでありますが、その中でも、やはりめげずに乗り越えていこうという決意の一端もうかがわれて、私たちも改めてしっかりと支援をしていかなきゃいけないなという気持ちになったところでございます。
 さて、昨日でありますが、経済同友会に行きまして、小林代表幹事、横尾副代表幹事と面会をいたしまして、これまで様々な支援活動をやっていただいたことにまず感謝をし、そして、その上で、今後、風評・風化との戦いという中で積極的な福島県産品の購入をしよう、あるいは被災地への観光の促進、及び企業立地の検討ということをお願いしてまいった次第でございます。
 詳細はお配りしたとおりですが、経済同友会でも、今までもしっかりやってきたつもりだし、これからも引き続きいろいろな協力をしていきたいというお言葉を頂いたところでございます。
  これで経団連、それから日本商工会議所、そして経済同友会と、いわゆる経済3団体のところへお願いしたわけでありますが、これをトップだけじゃなくて、できるだけ全国的にとにかく浸透していって、オールジャパンでお願いしますよ、ということ、特に企業立地等々についても同じことを言ってまいりましたが、分かりましたということでございました。今日の報告としては以上でございます。
2.質疑応答
(問)先日のNHKの番組で大臣が、自主避難者に対する支援策に関してお答えの際に、ふるさとを捨てることは簡単だが、戻って、とにかく頑張っていくんだという気持ちをしっかり持ってもらいたい、ということで御発言され、非常に避難者あるいは被災者の間で反発が起きております。この、自主避難者はふるさとを簡単に捨てた、というような発言をされているわけですが、そういうふうにお考えなのか、ちょっとお聞かせいただければと思います。
(答)これは、そういう趣旨ではありません。とにかく、ふるさとを取り戻すという気持ち、そしてまた、是非そういうことで頑張っていただきたいということを申したつもりでございます。もう少し敷衍して言いますと、命には限りがあるわけです。私もいずれこの世を去るでしょう。そして、被災地は、やはり人が減って、人が住まなくなっていけば、自然と寂れて、そしてなくなっていくんですよ。だからこそ、いろいろと避難されている方々のいろいろな家庭の事情等々もあるでしょうが、是非ともふるさとに戻ってきてください。そのために、今、復興拠点計画等も作って、そして地元の自治体や関係者の方々と、どうすれば戻ってこられる環境づくりができるのかということをしっかりやっていこうとしているわけですね。だから、そういう意味で、是非皆さんお願いしますということを言ったつもりであります。
(問)今の件なんですけれども、今まさに今月末に避難指示が解除されるので、自主避難というエリアが大幅に増えていきますけれども、自主避難者とされる人たちの一番心配している点の一つは、いまだ不安がある被曝に対する影響なわけです。これに関しては、復興庁としては、もうそういった心配はないということで解除に関しても指示しているわけですけれども、実際にそういう不安を抱えて避難を続けていらっしゃる方に対する住宅支援などが打ち切られているという現状があるかと思います。先程、しっかり支援というふうにおっしゃいましたけれども、帰還されない方々については、もう支援しないという、あるいはふるさとを捨てた人だというようなまなざしというか、そういった政策ということはもう大臣としては、そういうおつもりということでしょうか。
(答)そんなつもりはありません。誰が、どこでそんなことを言ったんですか。そんないいかげんなことを言わないでください。そうではなくて、自主避難者の方は自主避難で行かれている、あるいは残っている方もおられる。しかし、そういう自主避難された方にも災害救助法等を適用して今までやってきた。そして今回、もうこういうことで宣言をし、避難指示を解除するということになったわけですから、そこで、皆さん判断をしてくださいと言っているわけですよ。だから、これから避難解除されていない帰還困難区域においても更に拠点区域も整備して、何とかそこに手がかりや足がかりを作ってふるさとを守っていこうということでやっているということをもう少し分かってもらわないといけません。そして、その自主避難者の皆さんについても、NHKでも言いましたけれども、それぞれやっぱり個々の事情があると思うんですよ。だから、どうしても帰ってくるのは住宅上その他いろいろあって何とか面倒を見てくださいという方については、福島県が中心になって個々の事情に対応してやっていただくということ、これは知事もはっきりそう言っていますから、そこは心配ないと思います。
(問)今の関連で、自主避難者の借り上げ住宅について、実際に大臣がおっしゃられたとおり、福島県の施策が行われていまして、ただ、今現在、その施策からもこぼれてしまった人たちがいて、今度は全国の47都道府県の受入れ自治体の方で支援施策を作って、そちらの方で対応している。その47都道府県の施策からもこぼれ落ちている人がいて、あと1カ月を切った状態の中で、経済的な困窮と精神的なひっ迫で、本当に命の問題になっているんですが、このことに対して復興庁、国は今後何か対応をするというのはありますでしょうか。
(答)被災者を、自主避難者の方を結ぶ窓口や帰還の窓口は福島県ですから、県がそれぞれ個別の事情に応じて対応していただきます。それについて県がいろいろやることについて、また復興庁でもそういうことをしてくれというようなことがあれば我々も相談に乗りますし、そしてまた、現にいろいろな、いわゆる公務員の住宅であるとか、あるいはUR関係の住宅であるとか、そういったものにも我々としても働きかけもしながら、できるだけ福島県の施策に協力をしていくということでやっておりますし、またこれからもやっていくわけです。
(問)今の質問とちょっと重なるんですが、先日の日曜の番組を私も見させていただいていたんですけれども、国の復興政策からは、大臣がおっしゃられている、戻りなさいというか帰還をしましょうというものと、先日報道であった、原発周辺5町村の4万2,000人の方が避難者数から外れていたという報道があって、それが公共住宅に移られたからという理由で外されていたんですね。つまり、帰還か、移住・定住かという、復興政策から2択しか見えないんです。番組の中で首都大学の山下先生がおっしゃっていたような、原発事故であるから、長期的なスキームで、判断ができない人を待つという支援、そういう枠組みというのは、復興庁の方では、今後きちんとした施策として検討する、二重住民票という言葉を山下先生は使っていましたけれども、そういうことは何か考えられないんですか。
(答)これは、どういうふうに定義するかという問題であって、いろいろ定義の仕方はあると思います。御本人が、私は避難者ですという意識を持っているのかどうかですよね。しかし、中には、避難したけど、もう帰らないもうここでいい、という方もいる。だから、そういう個々の御本人の判断というのが一番ベースになるはずですから、それをつかむのはなかなか難しいので、一定の前提を置いて、こういう人については避難者、そうでない人という仕切りをしているわけです。それが県と市町村との関係で若干考え方、事務的な取扱いというんですかね、そこがちょっと違っているなということは、それは我々も知っています。それはしかし、一つの前提とした考え方で仕切っているだけであって、実際いろいろな支援の措置については、さっき言ったようなことで、それぞれの事情に応じて丁寧に対応していくということで、実態面では問題ないと思いますけどね。
(問)帰りたいけれど帰れない。でも、解除をされたからといっても帰れない。原発事故だから、やっぱり放射能の汚染が怖くて、とお話しされた浪江町のおばあちゃんが昨日ちょっと話していたんですが、どうしても先が見えないし決められない。いつまで支援が続くのか分からない、賠償も打ち切られていくという不安の中で、やっぱり国の政策であった原発事故だったと思うので、そういったところの支援はどこまでやるか、というような長期的なスキームというのはしっかり決めていっているということでよろしいんですか。
(答)そういったことも含めて、さっきも言いましたように、中心になるのは福島県あるいは自治体であって、そして、それを復興庁も一緒にサポートしながらやっていくということですね。
(問)先日の政府追悼式での首相の挨拶は原発について触れませんでしたけれども、それに対して福島県知事が苦言を呈されているんですが、大臣としての受け止めをお聞かせください。
(答)確かに「原発事故」という言葉、要するに、四つの漢字はなかったんですが、福島のことについてはきちんと触れてあるんですよ、総理の言葉の中にも。そしてまた、そういったことも含めて皆さんに心配かけたかなと思ったかどうか分かりませんが、岩手県に行っても、きちんとそういうことは言ってくれています。ですから、その4文字がなかったからじゃなくて、福島に対する思いというものは、総理も非常に強く思っているということを是非我々もアピールしていきたいというふうに思います。
(問)3月11日を迎えて、多くの方が亡くなった日ですので、追悼の意味がとても深い日だと思うんですけれども、そのときに式典に出席されて、御遺族のお話を聞いて、冒頭に御所感がありましたが、3月11日の直前に務台政務官のことがあって、非常に被災地は残念な気持ちになったわけですけれども、11日から過ぎて7年目に入る中で、改めて気を引き締めていかなければならないことなのかなと思うんですが、改めて、7年目に入ったということでの大臣の御決意を、御政策に当たる御決意をお聞かせください。
(答)6年経ったというのと7年目に入ったというのは、やっぱり6と7の違いですけど、随分響きが違いますよね。ですから、やはりピッチを上げていろいろなことをやっていく。そして、いろいろな新たな問題も出てきますから、そういったものに迅速に対応してやっていくんだと。これからまさに時間との戦いというようなことも含めて、てきぱきとスピード感を持ってやっていくということが非常に大事になってくるんじゃないかなというふうに思っております。今までは、ある意味ではいろいろな下準備といいますかそういったことで、例えばインフラの復興についてもそうだったんでしょうけど、今どんどん立ち上がってきているでしょう。それと同じで、やっぱりこれからの復興・再生についても大体問題点はわかってきたわけだから、それに対する施策を具体的に立案をして進めていくということが大事だなと、それを是非、この7年目に入った時点でしっかりやっていくということに重きを置いていきたいというふうに思っています。
(問)被災地に寄り添う気持ちが薄くなってきているんじゃないかという指摘については、どういうふうに受け止められますか。
(答)いや、そんなことはありません。それはやっぱり、今言ったように、例えば具体的な話、いろいろな、まだ避難して、仮設住宅に入っている方等のお世話もちゃんとしていかなきゃいけないし、一日も早く、いろいろな公営住宅等々も、来年にはほとんどでき上がりますけど、そういったことを着実にやっていきますし、それから生業の再生、特に岩手県は水産加工業の問題等もありますが、これも人手不足でもう大変だと言っているだけじゃどうにもならないわけであって、できるだけ、いろいろな施策があると思いますが、零細型を少しチームを作ってやっていく。そのために、今見ていると、加工は手作業で行うものが多いんですね。だから、それをもう少し、やっぱりこれだけIT技術が発達している中で、機械化、近代化ということが本当にできないのかなということも、地元の人から見ると、そんなこと言ったってということかもしれませんが、今ものすごく進んでいますから、そういったことも、いろいろな多角的な取組、傍目八目じゃありませんが、我々から見て、こうしたらどうかとか。
 それからもう一つは、マーケティングにしても、いつも言いますように、東京という、例えば一つの例ですが、大マーケットがあるんだから、やっぱりそこにどうやって被災地の物を売り込んでいくか、買ってもらう仕組みをどういうふうに作っていくかということですね、そういったことをしっかりこれからやっていく、そういうことが本当の意味での寄り添うということにつながっていくことにもなるんじゃないかなと思います。いろいろケアをすることも大事ですが、そういうふうに力強く立ち上がっていかれるような仕組みづくりをみんなで力を合わせてやっていくということが大事だと思いますね。ですから、冒頭言ったように、経済3団体等々にも、そういったところをしっかりお願いもしているわけであります。

(以    上)

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