被災地での55の挑戦 ―企業による復興事業事例集―
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67 事例3-8 存続の危機に立たされた伝統工芸の復活 福島県浪江町 1.避難先自治体や関係省庁等の協力・助成による製作拠点の再開 2.失われかけた釉薬を技術支援機関の協力により再現 大堀相馬焼協同組合 1971年設立、組合加盟事業者数21社'2013年3月末現在( 事例の概要 '1(プロフィール'概要( 浪江町にあった大堀相馬焼協同組合は、江戸時代初期(1690年)から320年以上の伝統をもつ大堀相馬焼の窯元による協同組合である。大堀相馬焼は、①青磁釉という独自の釉薬ゆうやくによる、深青色のひび割れ模様の「青ひび」、②疾走する馬が描かれた「走り駒」、③大きさの違う器を2個重ねた「二重焼(ふたえやき)」という3つの特徴を持ち、1978年2月には国の伝統的工芸品に指定されている。 '2(バックグランド'背景( 原発事故により浪江町は全域が警戒区域とされた。当組合に所属していた各窯元も、自分の窯の被災状況を確認することもできぬまま、町外に避難し、離散を余儀なくされた。陶器の製作には窯や作業場などにまとまった土地が必要とされるが、土地を含めた新たな設備の取得は経済的負担が大きく、多くの窯元にとって避難先で製作を再開するのは困難であった。一部には避難先で再開した窯元もあったが、その多くは休業せざるを得なくなり、大堀相馬焼は存続の危機に立たされた。 大堀相馬焼の始祖、半谷はんがい休閑きゅうかんの子孫である当組合の半谷秀辰理事長は、「浪江町に戻れる見通しが全く立たず、もう自分の代でやめていいとあきらめていた」と語る。大堀相馬焼の危機を招いた原発事故への国や東電の対応にもやるせない怒りを覚えた。しかし、「経済産業省の伝統的工芸品産業室長が国や東電に代わって詫びてくれた上、『我々も支援するので、一緒に大堀相馬焼を復活させよう』と言葉をかけて頂いた。この他にも浪江町から避難してきた人たちなど多くの方から励まされた」と、半谷理事長は振り返る。半谷理事長は励ましてくれる人たちのために製作工房を再開し、大堀相馬焼の復活を目指すことを決意した。 工房建物の建設展望本格実施準備構想・計画課題課題への対応3.11大堀地区への帰還電気窯他設備導入釉薬の製造二本松市から敶地提供中小機構の制度活用福島県ハイテクプラザの協力経産省の制度活用東経連ビジネスセンターの制度活用釉薬の再現大堀相馬焼

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