被災地での55の挑戦 ―企業による復興事業事例集―
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58 発祥であり、杉が最高級品であること、海外には杉がないため、輸入業者との競争もないことを知り、最高級の割箸にこだわっていこうと起業を決意し、2010年8月に会社を設立した。 当社は2011年2月に特注機械を揃え、本格稼働したばかりのところで震災と原発事故に見舞われた。当社の事業は森林再生だけでなく、地域再生への想いも込められて再スタートした。 '3(チャレンジ'挑戦( 杉の間伐材は樹齢60年以内のものが対象となっている。一般的に、間伐には自治体から伐採費用の70~80%の助成金が交付されるが、それだけの助成があっても林業が経営として成り立たないのは、材木が捨て値同然で取引されているからである。国内における杉の丸太の市場価格は1980年に1㎥あたり3.5万円をピークに、それ以降は下がり続けている。2013年は円安の影響で輸入木材の価格が高騰したため、国産材も連動して1.5万円まで回復したが、2012年は8千円程度であった。しかも原木市場での落札価格から2割の流通マージンが引かれるため、輸送費を含めると林業家は赤字になってしまう。したがって、当社のように輸送費の掛らない地元で創業することには大きな意味がある。また、当社の仕入れ値は市場での落札価格の3割増しにしており、林業家のモチベーションを上げることで地域との共生を図っている。 杉は含水率(約150%)が高く、強度が低い。このため、乾燥機を使用して通常の材木では15~16%の含水率のところを3%まで下げ、割箸としての強度を確保している。市販の乾燥機は高くて投資回収が難しいため、冷凍車のコンテナ部分を改造して薪ボイラと接合して全て手作りで作成した。ボイラの燃料は丸太の端材や箸の撥ね物で100%賄われている。 また、丸太の状態から割箸に加工するまで一貫して人手による製造を行っている。製品の袋詰め作業等では福祉作業所の就労継続支援型サービスと連携している。勿来なこそ周辺ではほとんどなかった内職を発注し、地元の人が事業に共感して、作業に参加するなど、地域の雇用創出に貢献している。 当社は、高級割箸としての製品の仕上がり、箸袋やパッケージのデザインには非常に力を入れており、デザイン担当を新たに雇用している。また、復興支援関連の商品には東京の任意団体「イート・イースト」にデザイン協力をお願いしており、「希望のかけ箸」や当社のパンフレットのコンテンツを共同製作している。 当社では直接販売のみで卸売はやっていない。売上の半分はノベルティグッズ関連であるが、顧客はすべて当社のホームページを見て、直接オファーが来たものである。今後も独自販路開拓を続ける意向である。 '4(エッセンス'大切なこと 当社のように、原料調達から製造、商品企画、販売までを一貫して事業にしている割箸会社は他にない。国内には100社程度割箸を作っている業者があるが、当社よりも小さい家内制手工業がほとんどである。我が国で消費される割箸の98%は輸入品であり、そのうちの99%は中国産であるため、単価としては競争にならず、国産割箸業者の流通経路は壊滅的な状況にある。こうした状況において、当社は製品のブランディング、デザイン、販路開拓をすべて自社で行い、独自の流通ルートを確立して利益を確保している。地域に根差して開業することで、尐ないコストで、地域からの協力を得て、身の丈にあった経営を実践している。その上で、地域の雇用と森林資源の維持に貢献している。 高橋社長は、「今、利用している杉の木は60年前に先人が苦労して植林したものである。それをタダ同然で取引し、林業経営を圧迫させることはどう考えても間違っている。割り箸作りは小さな試みかもしれないが、50年、100年後の山のあり方を考え直す契機になる。川下から林業を立て直していきたい」と熱く語る。当社は、現在、割り箸の他にも製材半製品や杉の精油'アロマオイル(の開発も手掛けている。割り箸一本一本に刻印される「磐城杉」の文字は、当社の地域の森林資源に対する真摯な愛情を表したものである。

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