被災地での55の挑戦 ―企業による復興事業事例集―
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53 事例3-5 伝統産業を極め、世界一の技術で新たな需要を開拓! 福島県川俣町 1.他社との差別化を図るため、技術の高度化と、他社が容易に参入できない市場の開拓 2.高い技術を活かして新たな需要開拓に取り組む 齋栄織物株式会社 1952年創立、従業員数17人'2013年3月末現在( 事例の概要 '1(プロフィール'概要( 川俣町の齋栄織物㈱は、絹織物産地である同町で60年以上にわたり絹織物製造を手掛ける企業である。当社は、「自社でしか作れないものを作る。その商品分野では自分たちが価格を決めるプライスリーダーになる」との齋藤泰行社長の方針の下に技術の高度化等に取り組み、震災のあった2011年に、世界一薄い絹織物「フェアリー・フェザー」を世に送り出した。 '2(バックグランド'背景( 川俣町は、東洋一と称された「川俣シルク」に代表される国内有数の絹織物の産地である。最盛期には絹織物業者は400社に上り、絹織物産業は川俣町の基幹産業として非常に盛んであった。しかし1980年代以降、安価な輸入品の台頭や和装離れ等を背景に国内の絹織物産業は衰退し、川俣町の絹織物業者も現在では約40社と最盛期の10分の1に減尐した。同業他社が輸入品との価格競争に巻き込まれる中、当社は独自の生き残りの道を模索した。輸入品はじめ競争相手が多いスカーフ等ではなく、消耗されて需要が常に生じる消費材向けや付加価値のある高級品向けなどのように、齋藤社長は他社が容易に参入できない製品分野に目をつけて取り組んだ。具体的には、1980年代にはタイプライターのインクリボン、1990年代には高級スピーカーの振動板、2000年代には女性の付け爪、近年では空気清浄器やガスマスクのフィルターといった具合に、斎藤社長のアイデアで次々に新商品が生み出されていった。もっとも、熾烈な競争環境の下では、分野によっては製品自体が衰退したり輸入品に代替されたりしたが、齋藤社長は「他社と違うことをやって、差別化を図りたい」という意識を常に持ち続けた。 併せて、当社は他社との差別化のために技術の高度化に努めた。例えば、生糸を染めてから織る「先染織物」絹織物産業の衰退展望本格実施準備構想・計画課題課題への対応3.11フェアリー・フェザー開発フェアリー・フェザー売上拡大技術上の課題新たな需要開拓先染織物・薄地織物技術高度化市場の開拓地域資源活用事業認定原価低減生糸先染め技術の研究フェアリー・フェザー開発によるアピール織機改良・調整技術高度化 フェアリー・フェザー

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