被災地での55の挑戦 ―企業による復興事業事例集―
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45 事例3-11 会津の酒を全国へ、さらに世界へ! 福島県会津若松市 1.風評被害の克服と海外への販路開拓の挑戦 2.日本酒文化の再構築 末廣酒造株式会社 1850年設立、従業員数60人'2013年12月現在( 事例の概要 '1(プロフィール'概要( 会津若松市の末廣酒造㈱は、1850年(嘉永三年)創業の会津若松を代表する酒造会社である。山廃やまはい1発祥の蔵であり、伝統を誇るだけでなく、微発泡酒も手掛けるなど、高い技術力が国内外で評価されている。 復興一年目は各地の震災支援キャンペーンで売上が大幅に伸びたが、福島第一原子力発電所事故の風評被害によって、二年目には震災の年に仕込んだ酒が全く売れなくなり、その克服に努力する一方で、海外に販路を拡大するなど、地域の酒造組合会長企業としての役割も積極的に果たしている。 '2(バックグランド'背景( 震災直後の会津若松では観光客は3月、4月はゼロ、当社の売上もゼロであり、社員の半分を自宅待機にせざるを得なかった。4月に岩手の酒造会社の人がYoutubeで「被災地からのお願い。花見をして酒を飲んで!」と訴えると、東京で日本酒の復興支援キャンペーンが行われるようになった。当社の新城社長も上野の駅前広場の試飲即売会に出てみると商品が飛ぶように売れた。5月の連休に赤坂で行われた試飲即売会の際には、地元の酒造会社に対して「地元では売れない。東京の人たちの支援の心に応えなければならない。売らないと次の年の仕込みができない」とFAXで檄文を送った。その後、全国各地の復興支援即売会を飛び回り、福島の酒のPRに努めた。地方の老舗酒造会社はほとんどが地元経済頼みであり、観光客が購買層で一番大きい。一連の復興支援 1 伝統的な生酛きもと製法から山卸の工程(蒸した米、麹、水を混ぜ粥状になるまですりつぶす工程)を廃した伝統製法。造り手である杜氏の長年の経験と高度なセンスが要求される。 展望本格実施3.11復興支援全国で福島の酒をPR風評被害米、水、原料のすべてを検査日本酒文化の再構築日本酒に対する基礎知識の普及海外への販路開拓地元酒造企業への声かけ日本海外特派員協会でのプレス発表「お燗名人育成講座」日本文化の輸出課題課題への対応準備構想・計画「その土地で作ることに意味のある酒」の開発タイへの輸出オスロのワインフェスティバルへの出店「おもてなし講座」新製品開発日本酒ファンを増やす末廣酒造㈱嘉永蔵

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